岩井の本棚、SAHRAの本棚

スタッフがマンガ界のニュースとおすすめマンガを紹介します!

【きれいは汚い】赤んぼ少女【汚いはきれい】




これを書いている今、外は雷雨だ。それにしてもいやに潮気の強い嵐だ。部屋の中までぷうんと香る。
そういえば昼間乗ったTAXIの運転手はばかに魚じみた顔をしていたな。
バックミラーごしにぎょろりと睨めつけてきた、死んだ魚のような丸い瞳が脳裏に浮かぶ。
それよりも庭にある井戸が気になってしょうがない。そしてマンションの屋上にある貯水槽の中もなぜだか気にかかる。そういえば私には兄がいなかっただろうか。子供の時分、私たち兄弟は禁忌とされていた池で泳いだり、遥か遠い田んぼで踊る白い人影に見とれたりと遊んだ筈だが、一体兄はどこへいってしまったのだろうか。
あれ、夕食にしようと思ったら皿が一枚足りな…

雰囲気も出てきたので、今回は楳図かずお先生の恐怖漫画『赤んぼ少女』を、万が一知らないという人がいたらいけないのでご紹介します。


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これは「UMEZZ PERFECTION」というシリーズで復刻されたものの書影。
初出は1967年、週刊少女フレンドにて。

*

紹介しますと今言いましたが、これはとてもおもしろい漫画なので、下手に内容を出して興を冷ましてはいけない。かわりにどのようにして私がこの作品と出会ったのかをお話しましょう。

いまから20年ほど前の話です。山村に住まう7つか8つの子供だった私は、大人の出払った昼間、誰もいない座敷にしょっちゅう入り浸っていました。そこには木でできた大きな書棚があり、むずかしい本や大人向けの漫画などがずらっと並んでいたのです。
当時、私はもっぱら漫画の方をむさぼるように読んでいたのですが、ある時本棚の最下段ににある目立たない引き出しを開けて見てみることを思いつきます。

建て付けが悪いのかギィギィと不気味な音を立てて開いたそこには、果たして『デビルマン』や『日野日出志』や『赤んぼ少女』など、小さな子供に読ませたくないから隔離されていたと思しき漫画がぎっしり詰まっていたのでした。
そのそれぞれをしっかり読んで、多様なトラウマを抱いた私でしたが、なかでも『赤んぼ少女』が与えてくれたそれは、語りきれぬものがあります。

読み終えた私はすぐさま本をしまいその場を去ったのですが、なにか忌まわしき感情がしばらく幼い私の心を占拠していました。恐ろしい物に触れてしまった、二度と読むまいとかたく決意したはずです。
しかし時間が経つにつれ、あの本がなんだか気になって気になって仕方がありません。あの忌まわしい『何か』は何だったのだろう?ほとぼりが覚めた頃に親の目をぬすみ、私はまたもや、そしてその後何度も『赤んぼ少女』を開いてしまうのでした。

*

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ぼろぼろの服を着てみじめな生活を送ってきた可愛らしい少女が、瀟洒な屋敷に引き取られるところからお話は始まります。
気さくな両親に綺麗なお洋服、豪華な食事とはじめは喜んでいた少女ですが、徐々に不審さ・不穏さに気づき始めるのです。


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この屋敷は、ある恐ろしい何かをかくしているのです。
そしてその「何か」がついに読者の前に姿を現します。


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「赤んぼ少女」は、赤んぼうでありながら薄気味悪く、赤んぼうでありながら醜い存在。
「赤んぼ少女」はさまざまな手段で可愛らしい少女を追い詰めてゆきます。


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やがて母は狂気の淵に身を沈め、父もまた計略によって再起不能に陥るのです。


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一見すると穏やかに眠るただの赤子。しかし…


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あっ!


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あっ!

*

読み手へ、次から次へと押し寄せる恐怖のおおもとにあるのは「赤んぼ少女」の存在そのものなんです。
生命の象徴であり、未来を予感させ、ふくふくと柔らかく無垢で可愛い、言うなればこの世の「陽」そのものとも言える赤んぼうのイメージが見事に反転され、赤んぼうでありながら邪悪であるというキャラクター造形のインパクトたるや筆舌。
キリスト教徒の多くない日本において、神聖なものが穢されるショックを伝えようとしたときにこれ以上ない設定なのではないか?
洋風で綺麗な屋敷と、そこで起こる呪われた事件。可愛らしい主人公と、醜い「赤んぼ少女」。未来に満ち溢れた私と、赤んぼうのまま成長せずに屋敷に幽閉された私。綺麗なものと汚いものが混ぜあわさって生まれる凄みに満ち満ちた作品『赤んぼ少女』。おそらく幼い私が覚えた忌まわしさというのも、そういった部分に原因があるのではないかと思うのです…。

*

今回この記事を書くためにあらためて読み返していて「おやっ」と思ったのがこのページ。


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メインで描写される小綺麗な屋敷とは対照的な、ドロドロでぐちゃぐちゃで邪悪インダストリアルなシーンなんですが、後の『14歳』のナマモノじみた廃物とか『漂流教室』の荒野などの要素がすでにここにあるような気がします。


(中野店・山田)


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  1. 2016/06/12(日) 11:00:00|
  2. 中野店山田

あなたと、あなたの隣人と-『メダロット』





どうもこんにちわ。中野店のまんがスタッフ朝日です。
今日のちょっといい話のコーナーです。

多感な時期に読んでいたマンガというのも、世代によっていろいろと違うわけです。
私は今27歳になるんですが、ちょうど小学生低学年の頃に初代ポケモンが生まれました。
そして各社が2匹目のドジョウを狙って当時、デビチルだとかロボポンだとかたくさんのコンテンツが生まれ、その大体が、ヒトの子と非ヒトの子が手を取りあって悪いヤツらと闘うーというコンセプトでできておりました。
そんなブームに乗っかって生まれたひとつが、今回ご紹介する『メダロット』シリーズです。
「メダロット」とはおおまかに、遺跡より発掘されたメダルを脳としたロボット=メダロットを操って、悪役やら何やらとロボトル(ロボットバトル)してゆく作品です。


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書影は新装版。
この『メダロット』、メディアミックスされ、アニメ・ゲーム・TOY・漫画と多数の媒体にまたがる作品でもありますが、漫画版『メダロット』シリーズはアクが強くて特徴的です。コミックボンボンに連載された児童向け漫画なのですが、中々類を見ない独特さが振り切れております。「シリーズ」だけあって主人公は何回か代替わりしますが、今回は最大の人気を誇る「天領イッキ編」について。


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主人公・天領イッキくん達

一体どう独特なのかというと、まず①奇妙に角張った、ストップモーション感のある絵柄であり、②かっこいい一辺倒でない、有機物臭と無機物臭さが交わるメカデザイン。③コマ間を大きく空け、間(ま)や諧謔や独自のリズムを表現している。なにより④作者自身の思想からくるとおぼしき壮大かつ卑近なテーマを描ききっている。なおかつおもちゃ、商品としての『メダロット』のあり方すらうまくテーマ内に包括している。

①「奇妙に角張った、ストップモーション感のある絵柄」


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首の角度に含みがある。


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テンプレ悪役三羽烏



②「有機物臭と無機物臭さが交わるメカデザイン」


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実在の生物モチーフ。


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ナマモノ感。


③「コマ間を大きく空け、間(ま)や諧謔や独自のリズムを表現している。」


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自由詩みたいで。


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センスある。

④「壮大かつ卑近なテーマを描ききっている」
ロボットについての思考。人工物に自我は必要なのか?
所詮道具ではないのか?2人の開発者のぶつかり合い。


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侵略についての思考、切り口その1。ヒトによる野生動物への干渉について。


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侵略についての思考、切り口その2。外来種と在来種の相克。
ヒトの持ち込んだ外来種により在来種が絶滅してしまうのを防ぐため、
外来種を殺してまわるカブトムシ型野良メダロット。


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侵略についての思考、切り口その3。メダロットの暗黒面。
実は土着の生命を浸食すべく宇宙より放たれた存在だったメダロット。


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生物が根源的にもつ、自己増殖の欲求に忠実な、メダロット側の親玉。
外から来て根付いてしまったものに対して、敵対せず、共存をさぐる主人公たち。彼等の出した答えは…?

侵略するもの、されるもの同士が隣人として、お友達としてうまくやっていくにはどうすべきか。


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男の子向けのバトル・成長ものの要素も少しはありますが、どちらかというと本作『メダロット』は、ほるまりん氏の昆虫や外来生物への興味など虫めがね的な視点と、この地球に置けるヒトの立場についてなどマクロな視点。それらがおともだちロボットであるメダロットとの関係性を通じて描かれています。
ただ商品『メダロット』の広告漫画でもなく、さりとて商業を無視して自説を開陳するだけでもない。製品コンセプトと思想がいい塩梅で成り立っているのが最高なので、子供に読ませたい漫画といったら私はコレ。


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拘束機械女子を浸食する菌糸から子実体が屹立するの図

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しかし、このころのボンボン漫画が沢山再発でていて幸せです。どうも、再発がでるまでのタームというものが存在するのでしょう。
10歳前後の子供たちが夢中で読む→児童漫画は発行部数も多くなくしばらく手に入り辛い状況が続く→15〜20年後、子供たちがある程度経済力を持ち、待ちわびた頃に新装版ドーン、というありがたいサイクルが…。このメダロットの新装版発売は本当に嬉しかった…。願わくば続くコイシマル編も出して欲しい…。後生だから…。


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写真は我が家のメダたち。TOY展開も豊富なのだ。

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今でも新作継続発表中。メダロット社公式ホームページはこちら
http://www.medarotsha.jp/


(中野店・朝日)
  1. 2016/05/02(月) 11:00:01|
  2. 中野店山田

オカマってホモなの?/おカマ白書





どうもこんにちは。花粉でぐずぐずになりながら寝起きしている中野店・朝日でございます。
ところで皆さん、オカマってホモだと思います?
…そんな感じで今回は最近読んでめっぽう良かったマンガと、それで色々思った事をご紹介したいと思います。


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おカマ白書/山本英夫 1989~1991
オリジナル版全2巻(未完)
完全版全5巻
文庫版全3巻
(書影は文庫版のもの)

主人公、岡間進也(おかましんや)は恋愛にたいして空回りしがちな普通の大学生だが、ふとした拍子に女装させられた自身のあまりの可愛さにクラクラ来て、そのまま「キャサリン」としてオカマバー「モーリス」で働くことになる。


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岡間とキャサリン
そこに、キャサリンそっくりの容姿をもつ「ミキ」が来店したことにより、物語は動き出す。なんと岡間はミキに一目惚れしてしまったのだ。「キャサリン」とミキちゃんは意気投合し、交流を深めていくことになるのだが、男・岡間とミキちゃんの距離感はなかなか縮まらず、数々のハプニングにも見舞われて…。


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ミキちゃんとキャサリン


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ミキちゃんと岡間

以上。大体のあらすじはこんな感じ。ラブコメディですが半分以上お下品なギャグマンガなんで、中々お話は進みません。主人公はおかまバー「モーリス」の濃い面々とワイワイやったり、かわいーキャサリンとして女子集団に潜り込んで肉欲を満たしたりと、大体そんなん。わりかし面白いです。


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しかしなんといってもキャサリンが可愛い!


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その後の山本英夫作品とは毛色のちがう、軽薄でシンプルな線で描かれるキャラクターたちの表情豊かなこと。絵を見ているだけで楽しくなっちゃいます。

ちょっと視点を変えてみると、このマンガの連載期はまさにバブル期ど真ん中。ということで、「金を持ってない男なんてクズ」だし、「車ならシビックとかプレリュードでなく最低アウディ」だし、「男の真実は尾崎」だし、「言葉少ななヤンエグ男に女子はイチコロ」であり、なおかつ「旅行と言えばスキー」で「スキーといえばナンパ」(以上本文より意訳抜粋)なんだけれども、しかしこれを書いてる私なんかはバブルの頃なんて生まれたかまだ両親の下腹部に半々に存在してるかどうかだったんで、ぜんぜん実感としてバブルとは?なんてわかんないです。
が、このマンガ、そのへんの時代的な価値観も、一歩引いてわりかしフラットにそしてテキトーに描かれているのですんなり飲み込めるところも良さなのかなーと思ったりします。
で、こういう価値観の中で岡間は毒されたりそれに違和感を覚えたりしながら真実の愛(岡間の好きなフレーズ)、ミキちゃんを手に入れんともがくわけです。


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この後失われた20年がやってくるわけだぜ…

ところで文頭の問いかけ、意味わかりましたか?
オカマの定義ってなんでしょうか。オカマっていつも男のケツを狙ってるおっかない化け物なんでしょうか。
お、ちょっとめんどくさい方向に話が進んできたぞとお思いの方もいるでしょうが、この『おカマ白書』の主題を語る上では避けて通れない話題なんですよ。
実はこの作品、文庫版巻末には「動くゲイとレズビアンの会」による解説文が挿入されています。その中で彼らは「本書においては(中略)男性同性愛者の姿は(中略)誇張され、過剰に性的な存在として描かれています。」「本書全体においては、男性同性愛者が異性装や性転換と混同され、混乱が見受けられます」などと述べています。
どうでしょう。めんどくさいでしょう。テレビのバラエティやお笑いやら、こんなギャグマンガにまで何かにつけてイチャモンをつけてくるめんどくさい権利団体っているよなー
そうお思いかもしれません。
この作品も連載当時そういった事情でオリジナルの単行本は3巻以降発売中止になってしまいましたし、文庫版にしたって見開きでどどんと解説文(というか意見表明文)が挿入されちゃってます。あーあー、あるあるめんどくさいねーと苦笑いしたそこのアナタ、これを読んでいるちょっとの間、そのめんどくささに参画していただきたい。

作中で岡間進也は真剣に悩みます。時に脂汗や涙をながしながら脳をよじって考えます。
「性別不詳のキャサリンとしてではなく、男・岡間進也として愛しのミキちゃんと近づくにはどうすればいいか」を。
そう悩みつつも、キャサリンでいることの心地よさでついつい男・岡間はおざなりになりがち。


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この悩みは物語後半、キャサリンとミキちゃんの仲が深まり、レズビアンだと周りに思われても、一生一緒に居たいっとまでミキちゃんに言われたことにより臨界を迎えます。
ギャグのベールで覆い隠されていたものがどろりと溢れ出したのです。

で、その「隠されていたもの」と、ゲイ・レズビアン系権利団体が言いたいこと、はわりかし近いところあるんじゃないかと思うわけです。

ここで余談ですが、『おカマ白書』はじめ、性のあわいを行き来する作品を読む上でちょっといいキーワードをふたつ。それは「性自認」と「性指向」です。
性自認とは、おおざっぱに言うと自分の性別を自分自身はどう捉えているかということ。
性指向とは、どの性別が恋愛対象かということ。
これは誰にも備わっているパラメーターで、みんなそのグラデーションの中のどこかに存在しており、一般的なイメージで語られるただの「男」や「女」というものは、実はまったく存在していないかもしれないのです。

例えばAさんは「肉体的には男性。性自認パラメーターも男性方向。性指向パラメーターつまり恋愛対象は女性より」。一般的に思い描かれる「男性」像と言えます。
例えばBさんは「肉体的には男性。性自認パラメーターも男性方向。性指向はどちらかといえば男性」これは「ゲイ」かな。
例えばCさんは「肉体的には女性。性自認も女性。性指向パラメーターは女性より」これは「レズビアン」と呼ばれるでしょう。
例えばDさんは「肉体的には女性。性自認は男性。性指向は女性」これはどうなるのか。いわゆる「性同一性障害」であり、肉体が女性であるだけで内実的には一般的に言われる「男性」に近しいと言えるでしょう。(最近は性同一性障害という単語は使われなくなる傾向にあり、「性別違和」と言
い直されつつあります)
例えばEさんは「肉体的には男性。性自認パラメーターは男女の中間。性指向パラメーターも中間」…これはバイセクシャルなのか?Eさんは完全に男性だと言えるでしょうか、それとも女性でしょうか。もしEさんの恋愛対象が男性であった場合、傍目からみるとゲイだけれども実情は違いますし
、恋愛対象が女性だったなら一般的な男性の恋愛のように見えてしまうでしょうが、やはり少しズレがあります。
以上、例をだーっと挙げましたが、この男女を両端に置いた二次元的パラメーターすらもおそらく限定的なものでしかなく、性自認や性指向そのものが希薄な人だって沢山いますし、現実にはもっと有機的な三次元マップのなかに我々は居るんじゃないでしょうか。
と、ここまで長い余談になりました。
そう、男が好きだからって、それと女装するかどうかは全く別のお話なのです。
主人公岡間進也に備わっている特性として、「異性装」というものがあります。この単語そのものは、異性の装いをする事が好き、程度の意味合いです。岡間は女装してキャサリンやってるからって男が好きな訳じゃないんだけれど、キャサリンがあまりにかわいいから周囲の男が放っておかないために、ドタバタなエロギャグ展開が生まれて来ます。

バー「モーリス」の濃ゆい面々は、一般的な「オカマ」像に忠実に描かれています。すなわち男性の肉体を持ちながら過剰に女性的に装い、男性相手に恋愛する、というイメージそのままの。


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そんな「モーリス」の面々と岡間(キャサリン)は同じ職場にいながらまったく別の位相にいることが、話が進むに連れて浮き彫りになって行きます。「モーリス」のオカマたちは男性性を隠せておらず(隠す気もない)、ある意味社会的な「オカマ」の役割の中にいますが、岡間(キャサリン)だけは性別不詳のなぞのかわいい物体として周囲に扱われます。男子たちには性的なまなざしを注がれ、女子からは安心できる話し相手として。
何よりミキちゃんからは個別性のある、楽しく頼もしい、自分そっくりの存在として愛されます。

キャサリンであることを利用してあんなにいい目を見ていた岡間進也はしかし、物語後半にはキャサリンにそうとう苦しめられます。
男性としての岡間と女性であるミキちゃんの間に横たわる、キャサリン。
ミキちゃんにとって岡間進也とは、キャサリンの代替でしかないんじゃないか?
岡間進也にとって、愛しのミキちゃんそっくりな、好みの顔を持つキャサリンとは何か?
キャサリンがなんで可愛いかって、主人公岡間進也にとって理想の女の子をそのまま演じているからなんじゃないの?


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「自分」って何者なのよ。あの子の事が好きなのか、あの子の事が好きな自分が好きなのか、大好きな自分そっくりのあの子だから好きなのか、どこかに自分の「好き」のイデアが存在して、それに似たものを好きになってるだけなの?自分が好きなナルシズムってことなの?なんなのよ。すっごく難しい。泣きたい。
そして、岡間とキャサリンとミキちゃん。三角関係な2人が行きついた場所は…。


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描かれた作品単体だけでなく、それを取り巻く議論や社会状況をもまとめてその作品だとするならば、『おカマ白書』においてはまさしく周囲からの呼応があり反発や化学変化が生まれ、その結果、今日深みをもってこの世にあるのだと言えます。
我々は常識や世間体と恋している訳じゃありませんもんね。言うまでもないことだけど、こうやって面白おかしく提示してくれるとめっちゃテンション上がります。
これも言うまでもないことなんだけれど、僕たちは果てしないグラデーションの中で漂う木っ端のようだなーって、泣けました。そんなマンガです。



(中野店・朝日)

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  1. 2016/03/24(木) 11:00:17|
  2. 中野店山田

日常は続くったら続く『ドームチルドレン』



ごきげんよう。コミックスタッフの朝日と申します。
一度読んだ本を読み返すことなど滅多にない私ですが、ふとぽっかりと空いた時間寝っころがって部屋の景色なんかを眺めているような時、なんとなーく手に取ってしまうような作品を今日は紹介したいと思います。


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『ドームチルドレン』山崎風愛
単行本全3巻
2001年〜2003年少年ガンガン及びガンガンパワードに掲載
山崎風愛氏は、今のところこの作品のみ単行本化しています。
ちょうど「エニックスお家騒動」の収束から「鋼の錬金術師」が始まるまでの数年に渡って描かれた作品でもあります。

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ひらたく言っちゃうと核戦争後、シェルターで生き延びた数少ない人々がまた地球に一歩踏み出すまで-そして踏み出した一歩先を描いた、「ポストアポカリプス」ものです。
そういえば核による終末を描いた作品は枚挙に暇がなくって、たとえば絶望と静謐さに満ちた『渚にて』だとか、『北斗の拳』、『ナウシカ』なんかもそうだったような。または現実世界でもやれどこそこでナニが漏れただの、割と日常の板一枚下にある現代におけるわかり易い恐怖というかそういった題材でありますね。
そして、『ドームチルドレン』は、そういった恐怖や絶望が吹き荒れた終末から50年後を舞台にした漫画です。


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終末当時を知る者の多くが死に絶えて、その子供世代孫世代を中心としたお話。
核シェルター「ドーム」の支柱にはメーターがあって、外世界の放射線量が一定数値を下回ることで扉が開くようになっています。核戦争から半世紀が経ち、ようやく外にでられるぞという所から物語は始まります。

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核戦争ものとしてのこの作品のちょっと面白いところは、こういうテーマでよくあるようなネガティヴさを、登場人物たちが日常体験のひとつとして消化・昇華していること。
「途方もない出来事に巻き込まれ縛られましたレポ」ではなく、彼ら彼女らの人生の物語として、ともすれば日常物と言えちゃうような地に足のついた作品です。

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もひとつ面白いのは、登場人物がみな「ひとつがい、いち世代」になっている所です。
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1.「ドーム」を生み出した「カレン博士」と夭折したそのパートナー。
核戦争時代の当事者としての罪の意識に苛まれつつ、50年後の地球をひとめ見て死んでいく。

2.主人公の両親「ノゾム」と「ジェシカ」。幼い頃に「ドーム」に避難し、やがて子を成す。
主人公達若い世代を新天地へ送り出し、自らは「ドーム」に残り骨を埋める。

3.若夫婦「ケン」と「ユイ」。なにかと諍いの耐えない2人だが、「ドーム」の解放と期を同じくして妊娠〜出産を経験し成長していく。

4.好奇心旺盛な主人公「しんた」とその幼馴染み「ユーリ」。「ドーム」内では考古学者の真似事をして、地面を穴ぼこだらけにするわんぱく坊主だったが、外の世界と触れることで多くのことを学び取っていく。

これら各世代のつがいたちのエピソードが、「ドーム」という彼らのゆりがごを軸にして、丁寧に(または、断片的に)描かれます。各世代で為せなかった事は次世代に託して、少しずつ全体が未来へ歩んでいく。言葉にするとあたりまえでちょっと臭いんだけれど、違和感なく伝わってくるのもこの作品。
人類がもうほぼこの7人だけになっちゃったという舞台設定の為せるワザかと。

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特に主人公たちふたりは基本的に「ドーム」外のことを殆ど知らずに育っているので、彼等の目線で描かれる外の世界の何もかもが読んでいて新鮮で楽しいのです。
ただやらされるだけで嫌いだった「勉強」の本当の意味とか


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初めて触れる陽光に皮膚を焼かれつつ少しずつ体を慣らすこととか、四季のきびしさと暖かさを噛み締めること


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他の生き物の命を奪い自らが生きているのだという自覚


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そして新たなる出会いを求めての旅立ちと、旧世代との別離。

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科学考証的なことをあげつらえばツッコミ所は多々あるのですが(たとえば、意外と生物というのは強くって、ちょっと世界が滅びたくらいでは多少の奇形も構わず繁殖し続けるんで、放射能汚染で人の居なくなった地域などは却って自然が復活している事…だとか、全ての地形を無に帰すような爆弾ってどんなだ?…だとか、そもそも作中で言われている「地球が死んでしまった」という表現も、凄い人間主観だ…とか。)そういった細かい所よりなにより、種としてのヒトの持つ「優しさ」についてや、動物としてのヒトのもつたくましさみたいなものを描きたかったのだろう『ドームチルドレン』は、隠れた名作だと言えるでしょう。

*

ちょっとすごいと思ったのがこのネーム


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「ボクたちがここに還れるには何十年もかかる つらくても苦しくてもキミは生きてその日を待つんだ」
「…生きてたらあたし地球(このこ)を助けられる?」
「もちろんボクたちの時代に出られるようになったらだけど」
「ならなかったら?」
「その時はキミの子どもにまかせればいいんじゃない?」
「そっか… だから生きるんだ」

*

また、この作品を語るのに欠かせないのが山崎風愛氏の絵柄の良さです。シンプルな絵なのですが、情感に富んでいます。表情の描き方が上手いのです。繊細さと粗雑さを併せ持つ、喩えるなら思春期の子供のような魅力があります。
氏の作品には他に単行本未収録の短編が幾つかあるのみで、今現在目立った活動はされていないようです。
もっと氏の作品を読みたい!と、なんとなーく10年以上思い続けておりますが、多分この先何年でもなんとなーくねっころがった時に思い出して、検索して、ちょっとがっかりしたりしつづけるのかなー、なんて、そんな気がしています。

*

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(ちなみにこの作品、デジタルだと「マンガ図書館Z」で読むことが出来ます。)


(担当/朝日)
  1. 2016/02/11(木) 12:24:47|
  2. 中野店山田

空の音はガー。

皆さんおはようございます。はじめまして。コミックスタッフの朝日と申します。
これからはこのスペースを借りて、私の大好きな漫画たちを雑談を交え紹介していきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

さて。
私、キャラクターにハマる事って少ないんです。そもそも自分はあまりキャラクターに何かを移入させることが少ない性質なので、仕方ない事ではあるんですが…こういう場所(まんだらけ)で働いていると、右を見ればやれ今期はどのキャラクターがどうだの姦しく、左を向けば胸元にはアクリルキーホルダー(アクキって略すそうですよ)が誇らしげに光っているような景色に挟まれても中々オセロのように自分がひっくり返るわけではないという。
二次創作文化に憧れても、けっきょくキャラクター愛抜きには語れないものなんだろうなということで、どうにも手が出せない。ぐぬぬ…。と唸る悔しさみたいなものがこう、胸に、あります。昔から。うらやましいな!

それで、私にも胸に焼き付いてしまったようなキャラクターがどこか誰かいないのか…と脳内本棚を漁ったところ、なんとかいくつか該当しました。
その中でもとびきりのやつを今回ご紹介いたします。

『ラブロマ』

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単行本全5巻。旧装版と新装版あり。
2003年から2005年までアフタヌーンで連載されていた、とよ田みのる先生のデビュー作。
高校生活を通して「星野くん」と「根岸さん」のお付き合いを描いた恋愛漫画で、人が人と付き合う時にぶち当たる様々なことを、ひとつひとつ丁寧に描いている傑作なのです。

※今からこの漫画を紹介していくんですが、ちょっと好きが高じて書きすぎてしまいそうなので、もともと気になっていたり読む予定のある方は回れ右するか、薄目で読んで欲しいのです。もしくは『ラブロマ』読み終わってからこれを読んで頂いたほうがいいかもしれない※

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これが主人公「星野くん」。
とてもとても愛らしいのです。

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まず、星野くんは理屈屋で正論をふりまわし、他人の気持ちや要求は口に出してプレゼンされないと気が付かない系男子です。
次に、星野くんは誰に対しても基本的に敬語で礼儀正しいのですが、上記のように空気が読めないためだいぶ無礼系男子でもあります。
また、星野くんは他人との間で齟齬やすれ違いが生じた時には、とことんディベートしてお互いが納得して理解したい系男子であり。
そして星野くんは、感情表出が苦手なので(一見すると)感情の振り幅が小さく、理屈っぽさも邪魔してなかなか素直に感動できません。終始真顔で長弁舌をふるう系の男子です。
更に、星野くんはとにかく人の目をじっと見て話すタイプでもあります。というか、対象Aとコミュニケーションしているのだから対象Aの瞳以外にどこを見るというのですかとか言ってしまいそうな系の男子でもあります。人と話す時は眉間を見て話すといいそうですよ。
実は、星野くんは自分がまだちゃんと人間になっていないんじゃないかと苦悩しちゃっている系男子でもあって。
あと、星野くんは自転車に乗れません。
……


こんな星野くんが、あるがままに直情型な「根岸さん」というひとりの女の子と付き合いだすところから話が始まります。
高校生らしく、肝試しや旅行、テストに進路とさまざまな出来事を体験しながら。
恋人同士として、キスやヤキモチ、ケンカに理解を重ねながら、彼等なりのやり方で距離を縮めて行きます。
こうやって書き出すと刺激の少ない作品に見えるかも知れないんですが、いえいえこれが傑作なんです。

だって皆さん、自分の人生における友情や恋愛とかって、自分にとっては全てが一回きりで忘れられない出来事じゃないですか。
みんなの到達点や通過点は同じに見えても、道程や思想は全く多様であるし、多様でかまわない。
年表や履歴書に書いちゃうと平均化されたものに見えたとしても、そもそも一人として同じ人間はいないのだからして関係性もまた、全く個別の色をしたナニカである…なんて事は自明のことなんですが、ついこんなことを力説したくなっちゃって。『ラブロマ』を読むともういけない。

キャラクター達がちゃんと生きていて、キスの為のキスや、セックスの為のセックスでなく、独自の解答でそれらに到達するその過程を読めるのが、恋愛ものの醍醐味なんじゃないかと私は思っております。

「星野くん」と「根岸さん」というキャラクターが、高校生活と恋路の中で紡ぐ会話たち。

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ちょっと人形劇のようにも見える、独特のデフォルメが効いた絵柄も印象的です。幾ばくかのぎこちなさと、人間味のようなものが滲み出していて、決して流麗ではないのですがいい絵だな、上手い絵だなと感じます。

背景に関しても、作風としてトーンや斜線などの塗り表現はかなり控えめですが、最低限の線で風景の奥行きや季節の質感などが描かれていて、却って絵画的な叙情を強めています。背景まで全て、とよ田先生本人によるハンドメイドというのもポイントが高いです。

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ここでちょっと研究したいのが、この漫画に度々現れる「ガー」という擬音について。

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一話一話の導入や場面の切替時、風景の引きのショットの時、空に「ガー」という擬音がよく浮かんでいるのです。(ときどき、「ゴー」)

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(「ガー」を集めてみました。)
「ガー」って何さ?
ただの空白の埋め草?うーん。
飛行機の飛ぶ音?それとも遠くを走る車の残響?
それとも、もっと抽象的な、記憶の中の夏の入道雲や春のけぶった空からなんとなく聴こえてくるようなあの、「ガー」なの?
この表現ってすごくとよ田先生の発明だと思っています。この「ガー」の良さっていうのが、この作品を支えているんじゃないかとまで。
ちなみに、この「ガー」って、作中で雨が降ってる時には出ないですし、海辺だと波の音に、夏場はセミの声に代替されてしまう。
よって、この「ガー」が出てくるのは、本当に何もないぽっかりしたコマだけです。ぽっかりした空白に「ガー」が入って、空間の奥行きやら情感やらが生まれて、本当にもう高校の屋上からぼんやり空を眺めていろいろ考えていたあの時がよみがえるようだ。

ちなみにこの「ガー」、作中で39回登場しており、最終回のほぼ最後のコマにもあることからもその重要さが伺えます。
しかしこの「ガー」、物語後半になってくると鳴りを潜め、音のない空が多く描かれるようになります。「ガー」で埋めなくとも、静謐さを湛えた無言で、空間が満ちるようになります。

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また、同じく世界観を下支えする要素として見逃せないもうひとつがこれ。

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星野くんが根岸さんに初めて告白したシーン。
この漫画ちょっとイカれてる位、周りのみんながいちいち沸くんですよ。二人が教室にいる時にケンカしたり星野くんが突飛なことをしたりすると、みんな満面の笑顔で「わああああああ」ってなります。

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「主人公二人以外の外野が笑顔で盛り上がっているコマ」をざっと数えたら全5巻中70コマもありましたね。もうね、とにかく主人公たちがテキトーに祝福されているんです。何をやっても外野が無責任にドッと沸いてくれる。
正直言って星野君はそうとう偏屈に見えるし、今だったら「アスペ」なんて言われていじめられかねない性格をしていますが、この作品世界では「わああああああ」でOKなのだ。こんな幸福な教室ありますか?これを書いている私なんて高校生の頃教室の隅っこでくだらないことばかり考えながらニヤニヤしていましたよ。泣ける。

実はこの「わああああああ」も「ガー」と同じように、物語が進むにつれ登場頻度が少なくなっていきます。
思うに、主人公たち二人の結びつきが強まり、やがて教室を飛び出し独立して描かれるようになると、外野の盛り上がりも必要なくなっていったのかもしれないな、なんて思いました。



このカップルを見ていると、例えば今自分が持っている関係性の、いちばん初め頃の感覚を思い出すのです。
高校生の頃のあれやこれやがまるで原風景のように、形は違えど似たものとして描かれている。

あと、私には星野くんが他人のような気がしません。彼が、なんだか当時思っていたようなことを全部言ってくれたような気がしてちょっとしたマイヒーローだったんです。
この物語は高校生までで終わりですが、読んでいる我々の時間はどんどん進んでいきます。
星野君達はこの後長く付き合っていくうちに何を得ていくのかな。想像もつかないけれど、ひょっとしてこれかな?とか思う事が私にも今後あるのかな。あるといいと思います。

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(中野店:朝日)




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  1. 2016/01/04(月) 11:00:39|
  2. 中野店山田

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